【みんなの家紋のはなし】
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| 品川さん みんなの家紋のはなし |
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【家紋名】五三の桐 【都道府県】石川県 花山源氏白川庶流。 神祇伯参議白川雅陳王(白川家)の3男である品川 雅直を祖とする武家。 文久年間(1861年 - 1864年)制作の加賀藩士名簿に品川 雅直の後裔、人持組「品川 左門」3000石・五三ノ桐が掲載されている。 |
| 【投稿日】2025/09/13 12:31:51 【投稿者】長岡さん |
| 小川さん みんなの家紋のはなし |
【家紋名】桐揚羽蝶 【都道府県】東京都 紋名(俗称):桐揚羽蝶(きり あげはちょう)。また、桐蝶(きり ちょう)と言う。歌舞伎「萬屋(よろずや)」の屋号紋。 主に萬屋を号した俳優の萬屋 錦之介・中村 嘉葎雄兄弟が用いた。 ![]() |
| 【投稿日】2025/04/25 13:36:03 【投稿者】長岡さん |
| 串淵さん みんなの家紋のはなし |
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【家紋名】丸に五三桐 【都道府県】群馬県 なし |
| 【投稿日】2025/04/13 22:21:13 【投稿者】日夏さん |
| 下忠さん みんなの家紋のはなし |
【家紋名】丸に五三桐 【都道府県】鹿児島県 先祖は薩摩藩の下級武士です。 ![]() |
| 【投稿日】2025/03/06 08:01:29 【投稿者】kuさん |
| 中桐さん みんなの家紋のはなし |
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【家紋名】組み合い角に五三桐 【都道府県】岡山県 中桐家の家紋。 |
| 【投稿日】2025/02/16 09:54:56 【投稿者】miminashiさん |
| 櫻井さん みんなの家紋のはなし |
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【家紋名】五七の桐 【都道府県】北海道 現在、私(以下当代と表記)の家は諸事情につき北海道にありますが ルーツ(祖)は公家の櫻井家で 当代の苗字は今でも旧漢字の「櫻」を用いた「櫻井」です。 正式な家紋(本家)は「五七の桐」になります。 当家(当代の家紋)は代わりとして 「子持ち輪に違い鷹の羽」を用いておりますが より正式な場では桐紋を使用する事が多いです。 当家は、仏間の仏壇に刻まれているのは五七の桐となります。(恐らく、婚儀で本家から持ち出されたのでしょう) 墓石には代わり紋として子持ち輪に違い鷹の羽が大きく刻まれています(桐紋は刻まれているが小さい)が 同じ北海道で分家(そう身内で称されている)の墓石には 五七の桐が大きく刻まれてあります。(理由は不明、どこかの代で本家と分家が入れ替わった?) 諸事情に関しては割愛させて頂きますが 当代は「当家の血筋としては百姓であるが昔はそれなりに財産があった。先祖様(当代から見て曾祖父、ひいひい御爺様)は本家の坊っちゃまで、北海道へは理由あって北上してきた。」と聞いております。 本家(祖)自体は後水尾天皇の辺りの分家で設立されたようです。 一応当家の元であるのは公家(藤原北家水瀬流)、家格は羽林家、現在(明治辺りの記録?祖母談)所在は山城国、千葉の方であったと記憶しています。 当家(当代)は戸籍も旧漢字ですが 今は新しい漢字、「桜」に 変える方も多いと、祖母談です。 (うちの一族、当家の片割れの従兄弟の家は戸籍の漢字を「桜」に変えましたが、当代の家は長男筋だった為、家名を存続させるという意味で引き継いで「櫻」から変えずにそのまま戸籍に採用、今も旧漢字を名乗っています) |
| 【投稿日】2024/12/26 04:13:00 【投稿者】螢さん |
| 神𠮷さん みんなの家紋のはなし |
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【家紋名】亀甲に五七の桐 【都道府県】兵庫県 紋名:亀甲に五七の桐(きっこう に ごしちのきり)。 神吉氏は播磨国に勢力を持っていた中世の土豪として知られ、播磨国印南郡神吉村を本貫とする。村上源氏赤松庶流と称している。赤松則祐の孫祐利の子、民部少輔「神吉 則実」が神吉氏を称し、その子則氏も「神吉民部少輔」を称したという。一方で『蔭凉軒目録』によれば、「志方」・「中村」・「英保」・「神吉」の 4家は一姓で、清和源氏(摂津源氏)源三位頼政(源 頼政)の三男の後裔だと称していた事がみえている。これによるなら神吉氏は赤松氏とは別系であったという事になる。赤松氏の家臣として戦国時代の戦乱に翻弄され、没落。表舞台から消えることになる。その後、近世、「姫路藩」領・神吉組 大庄屋に「神吉次郎兵衛家」があり、また平福領大年寄にも神吉家があった。真意は兎も角、いずれもこの播磨神吉家の末裔を称したという。 |
| 【投稿日】2024/06/28 19:32:37 【投稿者】長岡さん |
| 庄田さん みんなの家紋のはなし |
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【家紋名】総陰五三の鬼桐・総陰五三鬼桐 【都道府県】千葉県 総陰五三の鬼桐(そうかげ ごさん の おにぎり)・総陰五三鬼桐(そうかげ ごさん おにぎり)とも言う。 桐はゴマノハグサ科あるいはノウゼンカズラ科、キリ属の落葉広葉高木で、初夏に淡い紫色の筒状の花を咲かせる。広卵形の大きな葉も特徴的。古来、鳳凰のとまる神聖な木とされており、日本でも嵯峨天皇(第52代)の御世から天皇の衣類の刺繍や染め抜きに用いられ、「菊の御紋」に次ぐ高貴な紋章とされました。形が美しい上に皇室の権威を意味するので、ますます広まったと思われる。織田 信長や羽柴 秀吉にも下賜されたと思われます。足利氏をはじめ多くの氏族で使用されました。特に五七の桐(ごしち の きり)は政権担当者・天下人の紋として使用され、室町幕府や豊臣政権下で用いられた。2024年(令和6年)現在では内閣をはじめ、日本の行政各機関で用いられる。(通常の五七の桐とは異なり、上部の花の部分が幾何学的な意匠になっている。) |
| 【投稿日】2024/06/17 23:27:34 【投稿者】長岡さん |
| 戸丸さん みんなの家紋のはなし |
【家紋名】丸に五三桐 【都道府県】群馬県 内の家紋と一緒です。 ![]() |
| 【投稿日】2024/04/22 22:34:08 【投稿者】戸丸さん |
| 飯島さん みんなの家紋のはなし |
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【家紋名】丸に五三桐 【都道府県】神奈川県 以前地元の歴史を研究している大学の先生に我が家の古い屋号を聞かれ、その屋号の飯島は駿河国・遠江国の守護今川家の血筋だと聞いたことがあります。一族の古い墓石で確認できるのは宝暦年間の墓石で、すでに飯島を名乗っていたようです。 |
| 【投稿日】2024/04/03 09:32:44 【投稿者】いいじまさん |
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丸に三つ錨模様
丸に上り藤
玉持ち龍の爪
三つ飛び蝶
三つ組み違い山形
中輪に鳥居
桔梗枝菱
抱き沢瀉菱
能
外鐶菱に木瓜
浮線蔦菱
二葉葵
巌敷雪
井桁に左三つ巴
竜の爪
波の丸
隅入鉄砲角に抱き柏
細抱き柏
抱き柏
朧輪
重ね糸巻板
丸に抱き柏
結び柏
五つ葵に桧扇
遠山藤
糸菱に変わり沢瀉
羽団扇
亀甲崩し
三つ盛り違い丁子
根付笹
中陰対い割り菊
葉折れ茶の実
重ね枡
並び矢筈
隅立て撫で角
むくみ糸巻
八つ捻じ瓢
本
飛び龍兜
宝袋
一つ沢瀉の丸
丸に九つ星
重ね脹ら雀
葉陰杏葉菊
丸に放れ三つ引き
黒田枡形に月
変わり菊水
長講棕櫚
三つ竜胆橘崩し
石橋牡丹
三つ割り五つ葵
撫で角左三つ巴
陰抱き柏
三つ盛り違い丁字
山吹に水
陰笹竜胆
煮
三つ盛り稲妻
花抱き蘭
左卍
糸輪に六つ唐花
杏葉山吹
丸に隅立て四つ目
石持ち地抜き祇園守
糸輪一つ銀杏
細菱に片喰
二葉鬼菊の丸
四つ並び蛇の目
丸に四方剣片喰
反り剣形桔梗
丸に結び雁金
屋島扇
鶉蔦
隅切り角に木瓜
桜
五七乱れ桐
丸に川文字
雪輪に蔓柏
糸中陰裏桔梗胡蝶
横違い山形
丸に分銅
丸に平四つ目
永井梨
下り藤に三つ巴
鬼柏巴
丸に葛葉の下に一文字
吉田蝶
村
駒
三つ芭蕉巴
中陰一文字
丸に米の字
櫓半鐘
抱き稲に片喰
亀甲に四つ目
三つ蝶に菊
影一つ葵
丸に笄
太晴明桔梗
抱き柏に丸に立て三引き
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