【家紋名】 丸亀甲に丁
亀甲
亀甲は亀の甲羅を図案化したもの。亀甲紋は出雲大社、厳島神社、香取神宮などの神紋ともなっており、出雲地方に多くみられる。
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丸亀甲に丁 みんなの家紋のはなし |
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【名字】叶原
【都道府県】広島県 丸亀甲の中に「丁」と判別できますが、実際にはまるっきりアルファベットの大文字の「T」で、実に不思議な家紋です。いろいろと調べてて、馬のハミ(馬銜)、または轡(くつわ)か、釘の意味があるかもしれないと思っています。単純な図柄なので、戦場でわかりやすい武家のものかもしれません。 お寺の過去帳では、父の代で27代目とわかっています。貞享(?)年間に山陰から広島・備後に6つの家でまとまって移住した、とのこと。戦後も、祖父夫婦は山中鹿之助の法要に山陰に行ってました。家から山を登った古刹の裏山に山中鹿之助の首塚があります。毛利の配下に打たれて鞆の浦で足利義昭の首実検受けて埋められたが、鹿之助の家臣たちがここから掘り出して備後の山に持ち帰って首塚に埋めたというから、尼子氏そして鹿之助幸盛の元家臣団の一員ではないかと推測しています。本家の山には、たたら製鉄・かんなながしの跡があり、芸備線の前身の鉄道ができるときに膨大な山林を売ったが、昭和恐慌で銀行が潰れたときほとんどの財産を失ったという話もあります。 |
【投稿日】2024/01/14 16:22:42 【投稿者】headbangingmaniaさん |