【家紋名】 丸 松皮菱 矢
矢
弓矢の歴史は古く、狩猟や戦場の武器として世界各民族が利用してきた。矢、矢羽、矢筈の種類がある。服部氏の一族が多く使用している。
菱
菱模様は池や沼、河川に自生する水草を描いたもの。菱紋では、甲斐の武田氏が特に有名。
松
マツ科の植物で、長寿を象徴する木として大切にされてきた。古くから祖霊の宿る木として、門松などに用いられてきた。
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丸 松皮菱 矢 みんなの家紋のはなし |
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【名字】高松
【都道府県】香川県 高松松平家(初代は頼重)の高松城(玉藻城)より以前に高松城はあった。古高松城(喜岡城)という。その城主の直系の末裔の家系。 以下、香川県中小企業団体中央会 村井 眞明氏郷土史より抜粋 「高松城」と呼ばれた城が屋島の南にありました。 今から約680年前、後醍醐天皇による建武の新政で功をあげて讃岐守護となった舟木頼重(高松頼重)は、屋島南に築城します。この城は、元々はこの城の辺りが「高松」という地名だったところから、「高松城」と呼ばれていました。しかし、足利尊氏が後醍醐天皇に反旗を翻したことから、この城は築造まもなく尊氏の配下である細川定禅(じょうぜん)によって落城します。 その後再建されますが、最初の落城から約250年後の天正13年(1585)、この城は再び落城します。その頃、四国は土佐の長宗我部元親により統一されていましたが、豊臣秀吉は四国を平定するため、弟の秀長を大将に大軍を送り込みます。讃岐で最初に攻撃の目標となったのがこの高松城でした。このとき、元親側の讃岐武士約200人がことごとく討死しています。これにより讃岐の戦国時代は終わりを告げ、近世の幕が開きます。また、この戦いは讃岐国内での最後の戦でした。 |
【投稿日】2022/12/02 01:59:36 【投稿者】かぉさん |