【家紋名】 菊に一文字
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菊
菊の花弁が陽光に似ているところから、日本では天皇家の紋章として使われた。鎌倉時代、後鳥羽上皇がとくにご愛用になったことから代々受け継がれてきたといわれる。明治4年、皇族以外の菊紋使用禁止令が出された。
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| 菊に一文字 みんなの家紋のはなし |
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【名字】奈須
【都道府県】大分県 「菊に一文字」は、間違いなく「那須(奈須)」家の家紋です。私がその末裔に当たります。九州の大分市にお越しください。ほぼ、昔より那須(奈須)の名字を持つ者か、後藤姓を名乗る者が多く在住しております。国立国会図書館の デジタルライブラリーから、検索確認する事ができます。栃木県の一部を支配していた豪族だったと聞いております。今でも、栃木県大田原市では、「那須与一まつり」を行っているのではないでしょうか。鎌倉時代、平家討伐の為、九州奥深くまで探索し、各々土地に根付いた那須一党の武士達がいたことになります。 私がお守りしているご先祖の御墓の墓石には、この「菊に一文字」が彫られています。歴史的事実です。ただ、当サイトで見られる「菊に一文字」の紋章は、「一(いち)」と画かれたその筆跡の様な形式は、やや正式な那須(奈須)家一党の「一(いち)」とは異なると思います。国会図書館の家紋一覧と比してください。もう少し、細くすっきりとした(私見)「一(いち)」になります。私は今、所持している奈須家の家系図(那須与一は既に書き込まれています。)の完成を目指しております。その為、今入手できる限りの戸籍を追究しています。私の名字は「奈須」になります。狂言演目の「奈須与一」の奈須になります。 |
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【投稿日】2020/10/19 10:22:30 【投稿者】九州奈須一族末裔さん |
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下がり藤
鞠挟みに九枚笹
銀杏蝶
足羽六つ葵
鐶三つ組み合い輪
長門三つ星
重ね糸巻板
中陰地紙に桔梗_
丸に平四つ目
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多度桐
鳳凰の丸
亀甲形三つ割り片喰
手鞠
陰の澪標
丸に枝柊
陰七曜
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真麻崩し
庵に九つ目結
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五瓜に三つ地紙
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鳥居内に割り剣花菱
中陰五三桐轡
丸に花丁子
仙台牡丹
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左二つ巴
浮舟
月に夕顔
三つ横見菊
丸に変わり違い葵
陰輪に陰四つ目
丸に一文字に割り桔梗
三つ追い角中に揚羽蝶
丸に六曜
片喰蝶
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陰九曜
二重輪に四つ目
丸に抱き茗荷
対い二つ松
五徳菱
丸に芋柏
丸に五枚竹笹に雀
六つ目結
桐車崩し
抱き柊
違い州浜
諸向菱
諸向の丸
毘沙門亀甲
良
五つ星
戸の字
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天保銭
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剣梅鉢
稲蝶
丸に亀甲花角
八つ槌車
陰平井筒
丸に違い舵
隅切り角に二つ引き
丸に違い巴
真山霞
捻じ五瓜に唐花
三つ花形丁子
稲妻松皮
丸に榊に幣
松田波
地紙の内に一文字
丸に久の字
丸に可の角字
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変わり陰房付き軍扇
左三つ巴
竜胆桔梗車
石持ち地抜き十六菊
三つ追い笹竜胆
五つ梶の葉車
橘に水
丸に頭合わせ三つ梶の葉
竹輪
中陰梅鶴
上り藤に違い丁字

割り木瓜
丸に割三引両
丸に剣片喰
丸に右重ね違い鷹の羽
三つ盛り亀甲に三つ星
四つ目菱
九曜
丸に四つ目菱
丸に蔓柏
四つ鎌車
中輪に足付き細違鷹の羽


丸に違い鷹の羽
丸に隅立て四つ目
丸に九枚笹
丸に木瓜
丸に三つ柏

